奴隷とのとある一日から思うこと
拘束具の良さは簡単にこうして捕まえることができちゃうところ。
と言いつつ、凝った拘束具になると着けるだけで大変なものもあるけれど(笑)
私はずっとこの手枷足枷をつなぐタイプのものを愛用しているけれど、これはアナル責めをするにはとても優れものだ。
動けないけれど、写真のように拘束棒を手で掴むことができるから、バランスを取りやすいのよね。
しかも、恥ずかしい姿のまま、もうどうすることもできない。
もう諦めて、穴を差し出すしかないのだ。
Kとは長い付き合いにも関わらず、してやったことがあまりないことも多々あり、彼が『自分もあんなことしてもらいたい』と思っていたであろうこともしてやろうと思っている。
特に拘束好きなのに、おそらくこうした拘束はあまりしてこなかったはず。
それはきっと私が自分の専属奴隷だからこそ、自分がしてみたいことをしてきたから。
それは行為であったり、研究であったり、様々なのだけれど。
私は常に観察している。
どうすれば相手が自分の思うような感覚を得ることができるのか。
立って見下ろす
これもマゾにとってはとても素敵なことなのだと、わかっているようでわかっていなかった時にKが『素敵です』と口走ったところからはっきりと知ったこと。
実は私は下から自分を見上げられることがあまり好きではなかったのよね。
だって、下から見た顔ってたぶん美しくないでしょ?(笑)
でも、きっとそんなことはどうでもよく、マゾからすればその状況こそが望んでいることの一つなのだ。
だから、私は『あー、今って私とても不細工に見えているんじゃ?』ということも、その時を境に思わないでいいのだと自分に言い聞かせるようになりました(笑)
相手の望むことを与えてやること
それは優しさのように見えて、実は相手を自分の思うがままにコントロールしたいからこそ。
いつも言っているけど、飴と鞭ってそういうこと。
優しくしてやればいいだけじゃない。
望むことをいつどのように与えてやるか、そこもポイント。
見下ろされ、自分がどういう存在なのかを確認しながらも興奮してしまう時間を過ごし、見上げていたその相手が近づく喜びをまた知る。
思わず『ありがとうございます、幸せです』と言ってしまう自分にまた、自分の立ち位置を知らされることになる。
熱くて辛いことも、どうして受け入れてしまうのか?
楽しそうな相手の笑い声、そして一瞬見えたその笑顔。
そんなことにときめいてしまうからであり、この人のこの笑顔を見るためなら受け入れよう、そう思ってしまう自分をまた知る。
その繰り返しがどんなことになるのかということは、振り返った時に気づくものかもしれない。
そうこうしているうちに、あっという間に月日は経ち、会うたびに『こいつはまぎれもなく、私の奴隷だ』と私自身も感じる。
とはいえ、私の中の奴隷というものはSMを通して私の一番近くにいる存在でもあるので、私は私なりの人としての繋がりも求めてきた。
相手を人として尊重しつつ、奴隷として私の前に存在する時には私が否と思うことはしてはならない。
以前の私はその辺りがとても厳しいタイプだったのではないかと思うのだけれど、ここしばらくで私自身も変わってきたなーと思うこともある。
要するに、年々人として丸くなってきたのか、それとも単純に年をとってきたのか(笑)、残念なことがあると怒るというよりは悲しくなってしまう傾向にあるのよね、、、
女王としてどうなのかという問題もあるのだろうが、まぁそれも私だと思うから、無理せず『今の自分』として相手と向き合っていきたいと思います。
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